2006年9月17日 その4

宴の後

 コンサートが終わり、客席にお見えになっていた飯山日本大使にご挨拶をしました。大使はとても穏やかに話される方で、私達のスロヴェニアとの交流をとても喜んでくださいました。大使夫人は明るく社交的な方で、地元の合唱団に入ろうかと思うとおっしゃってくださいました。中学生のお嬢さんは控えめながらもきちんと自分の言葉で話していたのが印象に残っています。そして書記官の方が同行なさっていました。
 この後打ち上げパーティの予定です。同じ建物の中、場所を移して行なわれます。団員達はもう移動していました。大使にも参加をお願いし、会場に移ったその時、母が倒れました。急ぎ寝かされ、救急車が呼ばれました。幸いすぐに意識は戻りましたが、病院へ搬送されることに。腕の怪我をした団員も、もう一度病院へ行くことになっていたので、一緒に救急車に乗りこみました。現地スタッフのNさんと、大使館の書記官の方が同行してくださいました。団員には大使が通訳として付き添ってくださり、治療の後ホテルへ送ってくださいました。母の方はNさんが通訳に付き、色々検査をすることに。途中パーティを終えて司会のツヴィトカさんが駆けつけてくれました。おそらくは貧血であろう、様子を見るように、と言われてホテルへ帰ったのは夜中1時過ぎ。たくさんの方に迷惑をかけて、とんだ一日が終わったのでした。

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 ここからは私の変わりにC子さんの報告です。

巨大なピザ コンサート終了後、簡単な打ち上げパーティがありました。軽食と飲み物と聞いていたのに、驚きのビックサイズピザパイや、お手製のお菓子の数々、おまけにやっぱりワインはつき物。合唱団の方たちの暖かい心尽くしはとてもありがたいのですが、昨日といい量の多さは歓迎度と比例しているのでしょうか?取り分けてくれたスモールサイズくらいのピザとワインをいただきました。夕方の軽食を食べないでおいて良かった。

民族衣装同士 昨日の交流昼食会の時も感じたのですが、スロヴェニア人ってどこか日本人と通ずるところもあって、まるで田舎での身内の宴会のような暖かい居心地の良い雰囲気なのです。下町のおばちゃん的な明るい気さくな人柄は、独立までいろいろな国に支配されながらもずっと耐えてきた、最近の日本人には失われつつある、耐え忍ぶという強さなのかもしれないです。

 パーティが終わった後も立ち去りがたく写真を撮ったりしていたのですが、突然何人かが私達に向けて歌いだしました。言葉は解らなくても、気持ちは通ずるもので、涙が出てしまいました。一期一会。抱き合って別れを惜しみました。

全員集合! いかがですか?パーティの雰囲気が伝わりましたでしょうか。ズヴォボダの指揮者ズドラウツ氏を中心に撮ったこの写真。ズドラウツ氏が青鬼のお面を持っているのがわかりますか?「おもちゃ歌」で母がつけたお面です。病院にいった私達も一緒だよと言ってくれているようです。笑って、歌って、泣いて、私達の交流会は大成功でした。

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