2008年6月23日

メンデルスゾーン記念館

記念館入口のポスター メンデルスゾーン記念館に到着しました。入口には私達のコンサートのポスターが貼ってあります。

記念館 この記念館はメンデルスゾーンが最後に住んだ家で、実際に使っていた部屋が公開されています。別館の2階にサロンホールがあり、そこでこれからコンサートを行います。シュミットさんという大柄だけど笑顔の素敵な女性が私達を案内してくださいました。1階に控室になる部屋を貸してくださったのですが、なんと指揮者とピアニストにはもうひとつ別に部屋を用意してくださいました。日本から来たアマチュアの合唱団にしては破格の待遇です。

 メンデルスゾーンはユダヤの裕福な銀行家の息子として生まれ、9歳でもうピアニストとしてデビューするなど恵まれた才能の持ち主でした。ライプチヒで若くしてゲヴァントハウス交響楽団の音楽監督を務め、またドイツ最初の音楽学校を設立するなど活躍しました。また、そのころ半ば忘れられていたバッハを再評価したことでも知られています。残念ながら37歳の若さで夭折しました。しかしこの記念館はあっさり出来たわけではありません。彼はユダヤ系でしたが、早くにキリスト教に改宗しました。その結果、ユダヤ系からは裏切り者扱い、かといってキリスト系はユダヤ人であることを理由に、記念館設立の寄付を断ったのです。立ち上がったのは世界中の音楽愛好家たちでした。日本からも協力した方々がいました。その縁で私達はここでのコンサートに招待されたのです。

サロンルームで歌う 荷物を置いて一息ついたところで記念館内部を案内していただきました。メンデルスゾーンが実際にサロンコンサートに使っていた部屋には館長さんがいらしてご挨拶してくださいました。そして記念館設立の経過をお話しになった後、この部屋でも歌ってほしいとおっしゃり、驚きましたが有り難く歌わせていただくことになりました。曲はもちろんメンデルスゾーンの『歌の翼に』、そしてライプチヒに留学したので知られている滝廉太郎の『荒城の月』です。よく響く、気持のよいサロンでした。

シューベルトゆかりのピアノ サロンに置かれていたのはベーゼンドルファーのグランドピアノでした。残念ながらメンデルスゾーンが使っていたものは残っていないそうです。シューベルトゆかりのピアノを手に入れることができ、修復して置いてあるとのことでした。柔らかい音のピアノでした。

ホール さて、見学の後はコンサートを行うホールにやってきました。縦長で、ちょっと天井が低いのと、木が張り巡らされているのが気になります。昨日の教会はよく響いたのですが、ここは日本とそう変わらないかも!それより太鼓をどこに置きましょうか。

ホールのピアノ こちらにはスタインウェイのグランドピアノが置いてあります。この大きさのホールにしてはちょっとピアノが大きい。注意してひかなければいけません。かなり使い込んだピアノで、良く鳴ります。

 軽くリハーサルをした後控室に戻って着替えです。そこへテレビ局の取材が入りました。予定していなかったので母はびっくり!和子さんに通訳してもらいながらカメラの前でひきつっていました。彼らはこの後コンサートも収録していくそうです。なんだか大事になっていませんか?
 ところで合唱団の面々、興奮して控室がにぎやかです。昨日の今日だし、この後歌うんだから喉を大事にね、と言ってもどこ吹く風。ついに母を怒らせてしまいました。「始まるまでいっさいしゃべってはいけません!」おしゃべり禁止命令です。母、普段はめったに声を荒げる事無いんですが、怒らせると怖いんですよ。そんなことをしているうちに、開演時間になりました。

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